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葛城簡易裁判所 平成4年(ろ)8号 判決

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、「被告人は、平成四年一月二四日午後一一時五五分ころ、金品窃取の目的で、奈良県橿原市〈番地略〉○○住宅四〇三号室甲野花子方勝手口から同家に侵入し、同所において、乙川一郎外一名所有にかかる現金約一七万七〇〇〇円を窃取したものである。」というのである。

ところで、被告人は、捜査段階では犯行を自白し、窃取した現金を隠匿した場所を自分から警察官に案内指示し、その現金が発見領置されたものであるが、公判廷において、被告人は、前記捜査段階での自白を飜えし、犯行を全面否認するとともに、発見領置された現金についても知人の丙山次郎から借用したものである旨弁解するに至ったものである。

そこで検討すると、争点は第一に被告人の自白の信用性、第二に犯人の目撃事実、第三に被告人が現金を隠匿所持していた事実が挙げられるので、以下、順次これらについて記することとする。

第一  被告人の自白の信用性

1  被告人は、犯行の動機につき、「被害者である義姉甲野花子(以下、「花子」と記する。)夫婦とは平素不仲であったので、花子や内縁の夫乙川一郎(以下、「乙川」と記する。)を困らせてやりたいためと、自分に自由に使える金が欲しかったので盗みに入った。」と述べているが、被告人は本件被害発生当時、奈良県〈住所略〉の○○建設の仮枠大工として勤務していたが、被告人の公判供述及び妻である証人丁川梅子(以下、「梅子」と記する。)の証言によれば、被害者との仲が多少ギクシャクした関係にあったことは認められるものの、被告人の家庭が金銭的に困窮し、被告人が小遣銭に不足していたという事実は特に認められず、本件被害発生当時、被告人には本件のごとき窃盗事犯を敢行すべき必要は必ずしも存しなかったことが窮われる。

また、仮に、被告人が常々、花子や乙川に対して前記自白調書にあるような悪感情を抱いていたことが事実であったにせよ、雇主の家へ招かれて酒食をご馳走になり、同僚の車で自宅のすぐ近くまで送られて来た者としては、雇主に歓待されたことで喜々として平素よりも少なからず爽快な気分であったであろうし、そのような気分に浸った者が同僚と別れた直後に、一転して、このような暗たる犯意を起こし、かつ犯行に及ぶような心理的変化をきたすことが果してありうることなのかどうか甚だ疑問であるといわざるをえない。

また、被告人は、自白調書の中で、「外から見た様子では、すべての部屋の電灯が消えて、花子の家はすっかり寝静まっている様子だったことから、盗みに入ってやろうと思った。」旨述べているが、勿論、花子方の家の中の様子までわかる筈はなく、家人が起きているかどうかもわからない状況で、見つかればたちどころに義弟であることがわかってしまうというような大きな危険を冒してまでも敢て犯行に及んだものであるのかどうかも極めて疑わしい。ましてや、被告人は、その一方で、犯行状況を自白する段階では、花子方の屋内の模様について、「花子方の各部屋には豆電球がついていたので、その光で部屋の模様は良く見えた。」とも述べており、この豆電球点灯の事実は花子や乙川も認めるところであるが、このような状況であったのであれば、花子方へ侵入する以前から、その豆電球の光はガラスの窓越しに外からでも微かながらに見えたのではないかと思われるのであって、微かながらも電灯の光が見えれば、もしかしたら家人が起きているかもしれないと警戒心を強めるのが普通であり、その冒険の度合いは一層大きく感じられるのではないかといえるのであり、危険度が増せば増す程、犯行を思いとどまろうとする反対動機も強く作用する筈である。このように犯行の動機や犯意の発生につき被告人の自白には齟齬、矛盾が認められる。

さらに被告人の自白調書では、「ドアのノブをそっと回したところ、うまい具合に鍵がかかっておらず、カチャッという音がしてドアが開いた。」といかにもリアルな表現で述べているが、これらの状況は、偶然というには余りにも出来過ぎた観があり、被告人は期せずして窃盗の機運に恵まれたというほかない。もし、施錠があったならば、どのようにして侵入するつもりであったのか、その点の捜査は欠けている。

2  次に、犯行の態様につき、自白調書では、被告人は、「義姉夫婦の部屋に入り、部屋を見まわしたところ、義姉の枕元に黒っぽいセカンドバッグが置かれているのを見つけたのです。この時、内心大切そうに枕元に置いてある程やから、お金が入っているのに違いないと思い、手前の方に寝ていた乙川さんの枕元に一歩足を蹴み込み、中腰になってそのバッグを手に取ったのです。その際に、私の指紋がつかないように上着の袖をのばして袖越しにバッグをつかんだ。バッグを手に取った後は、階段の降り口の所まで戻り、階段を背にして義姉夫婦の部屋の灯りをたよりにバッグの中を探した。バッグの中には預金通帳が数冊と、書類のようなものなどが入っており、かなりごちゃごちゃしていた。私は、人の寝ている所に忍び込んで盗みをするのは初めてだったことから、心臓がドキドキして、早く現金を盗んで逃げようと思い、バッグの中をかきわけて現金を探した。そうしたところ、通帳と通帳の間あたりに半分に折りたたんだ札があったので、この札を取り出し、ズボンのポケットに入れて盗んだ。このほかには封筒のようなものがあり、その中にもいくらかの札が入っていたように思い、これも抜き出して盗んでいる筈です。(平成四年二月三日付け員面調書)。」と述べているが、被告人の自白した方法で果してバッグのチャックを開き、バッグの中をかき分けた揚句、通帳にはさまれた状態の紙幣を取り出すことが出来たのかどうか甚だ疑問である。バッグのチャックを開くことぐらいは辛うじて出来るとしても、そのバッグの中ヘシャツの袖で覆われた手を差し込むことさえおおよそ不可能であろうし、ましてや薄い預金通帳の間にはさまれた紙幣を指先の自由がきかない状態の手で抜き取ることは殆んど不可能なことではないかと思われるところ、これらの点についての捜査もなされていない。

そのほか、自白調書では、被告人は、バッグの中に財布があったことについては、当初、気がつかなかったと述べていたが、警察官に追及されて、「記憶ははっきりしないが、あったかもしれないし、あったとすれば、財布の中からも現金を取っている筈である。」と述べ、まるで他人ごとのような供述となっていて警察官の追及に渋々供述を合わせたことが窺われる。

また、被告人は、前記のとおり、「私は人が寝ている所に忍び込んで盗みをするのは初めてだったことから、心臓がドキドキして、早く現金を盗んで逃げようと思い、バッグの中をかき分けて現金を探した。」というような切羽詰まった状況であったのであれば、バッグを手に取ったら、そのまま屋外へ持ち去るか、あるいは、少なくともバッグの中の現金を抜き取ったら、そのままバッグを投げ捨てて屋外に出るなどして発見される危険から一刻も早く逃れようとするのがこの種犯人の本心ではないかと思われるところ、被告人は一体、どんなつもりでバッグを再び枕元へ戻したのか、この点は犯罪者の心理として到底理解できないところであり、被告人は何故このような間抜けな行動をとったのであろうか。この点についても自白調書は何ら触れていない。

以上、犯行の動機及び態様の二つの点からみて、被告人の自白調書は真犯人の供述としては、迫真性に欠けるところが大きく、信用性が乏しいといわざるをえない。

なお、付言すれば、警察官作成の自白調書は合計七通(〈省略〉)の多数にのぼり、窃盗事件の取調べ調書としては異例ともいえる数の多さであるが、その多くは犯行の動機に関する供述で占められていて、中には一言一句同じ表現の記載(〈省略〉)もみられ、警察官のいわゆる作文調書の観は否定できないし、検察官調書にあっても、その内容は警察官調書の上塗り、ないしは要約調書の域を出ないものである。警察官調書の内容を検討し、矛盾点や、不可解な点をさらに裏付捜査し、真実を解明すべきが検察官の捜査の本来の在り方であるとすれば、本件の検察官調書は証明の役には立たないものというべきである。

第二  犯人の目撃事実について

証人花子は「人の気配で目をさましたら、三郎(被告人)が整理ダンスの所に中腰に立っていて、三郎の顔の左半分が見えて、互いに目と目が合った。その間の時間は三秒位だった。」旨証言する。

被告人は、花子の義弟であり、お互いに十分な面識があり、花子にすれば、顔を見ただけですぐに義弟の三郎であることは認識できる間柄であり、この限りでは、花子の証言も肯認できるところではあるが、それならば、何故、その時に被告人に対し、「どうしてここにいるのか。」とか、あるいは、「何しに来たのか。」というような言葉をかけなかったのか不可解である。怖いとか、驚いたとかと意識し、身構える以前に、身内の者という気安さから極く自然にそのような問いかけの言葉が発せられるものではないかと思われるのであるが、この点につき、証人花子は、「声が出なかったので傍に寝ている夫を揺り起こした。」と証言するだけであり、恰も、全く見ず知らずの男が突然出現した時のような驚きを抱いたという趣旨の証言であり、これこそ不自然といわざるをえない。

一方、証人乙川は、「花子に起こされてすぐに犯人を追いかけたが、犯人が被告人であるかどうかは確認できなかった。犯人は勝手口から外へ出たので、自分も勝手口から一旦外へ出た。外へ出る時に勝手口に置いてあった野球のバットを持ち出したが、外へ出ても人影が見えなかったので、すぐに家の中へ引き返した。」旨証言するが、三郎であることを妻から知らされていたのであれば、敢て野球用バットまで持ち出して行く必要はなかったのではないかと思われるし、外へ出たのであれば、そのまま被告人の家まで追い駈けて行き、被告人であることを確認し、夜中に人の家へ何しに来たのか詰問するのが普通ではないかと思われるが、乙川はそれもなさず、すぐに屋内へ戻ってしまったのであり、このような観点から右証人らの行動はいずれも常識的なものとはいえず、直ちに措信することはできない。

さらに、証人花子は、「被告人が逃げて行った後、花子の母の所へ電話をかけ、その後こんどは被告人方へ電話した。」旨証言し、被告人及び被告人の妻梅子も花子から電話がかかってきた事実を認めているが、花子が何故に真先に母に電話をかけ、次いで被告人方へ電話をしたのか、その理由や意図は明らかでない。おそらく、その頃の花子は、犯人が被告人であることに間違いないという確信まではなかったのではないかという疑いさえ残るのである。

第三  被告人が現金を隠匿所持していた事実

被告人が本件被害金額と同額の一七万七〇〇〇円の現金を××住宅の階段の板の隙間に隠匿し所持していた事実は、被告人の自白及び、現に同所からその現金が発見されて領置されている客観的事実によって明らかである。

ところで、この現金を隠匿した日時や理由について、被告人は、自白調書では「本件当夜、花子からの電話を受けた後、現金を持っていることが発覚するのを虞れて、××住宅に住む同僚の戍村四郎宅へ赴く途中で隠した。」旨述べていたものであるところ、公判廷では、「本件被害発生から二日後の一月二六日の午前中、丙山次郎から一八万円を借り受けた後、その日のうちにその金の中から一七万七〇〇〇円を隠したものである。」と述べて自白を飜えし、かつ、自分が犯人でないのにかかわらず、敢て人から金を借りてまでも犯人を装った理由として、「テンプラナンバーの車を使用していたことがあり、そのことが発覚するのを虞れたからである。」と説明する。右説明は検察官指摘のように、いかにも理不尽、不合理なものである。しかしながら、過去において、業務上過失致死傷、道路交通法違反、道路運送車両法違反の罪で実刑判決を受け、服役までした前歴を有する被告人にしてみれば、服役出所後もなお無車検ないしは無登録の違反車両を使用していた事実が発覚するのを人並み以上に恐れるのは当然なことかもしれないし、その余りこのような一見、理不尽なことまでも思いついて、しでかすことも一概に否定することはできない。

さらに証人丙山次郎は、被告人に対し現金一八万円を貸与した事実を認め、被告人の供述に沿う証言をしているのである。

その証言は、貸与した一八万円の金種別について、被告人の供述と若干の差異があること、貸与に際し、返済期日を定めなかったり、借用証を徴さなかったり、あるいは貸与後今日まで一度も返済を催促しなかったことなど一般人の感覚とは異なり、かなりルーズな面があり、真実性に欠ける嫌いも全くなしとはしないけれども、証人丙山が左官職、被告人が仮枠大工というような者同士の市井末端のいわゆる職人気質からすれば、右のような金銭の貸借も必ず至も型破りな、あり得ないこととは言えないのかもしれないし、丙山証言が虚偽であるという決め手となる証拠も存在しない。検察官において、丙山証言の真偽につき検討や、捜査をした形跡もみられない。

第四  結論

以上を総合すれば、被告人が本件犯行を行なった者と断定することはできない。被告人が犯人であるかもしれないという嫌疑は濃厚ではあるが、なお確信が持てない以上、「疑わしきは被告人の利益に。」の原則に従うほかなく、結局、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをする。

(裁判官中村誠二)

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